1889年、矢島村、国領村、下布田村、上布田村、布田小島村、下石原村、上石原村、
飛田給村が合併して、調布町となる。 深大寺村、佐須村、柴崎村、大町村、
矢島村、金子村、入間村、北野村、下千川村が合併して、神代村となる。
1952年、神代村が神代町となる。
1955年、調布町と神代町が合併して、調布市となる。
現在狛江市の人口は、約7万7千人。多摩地域30市町村の中で、人口密度は、3番目。
現在調布市の人口は、約21万7千人。30市町村の中で、人口密度は、6番目です。
昔は?
甲州道、一番目の宿場は高井戸宿でした。
後に内藤新宿宿が出来ました。が直ぐに潰れました。
再度内藤新宿宿場が出来たとき、岡場所として有名になりました。
内藤新宿、高井戸、布田となりました。
甲州道中、二番目の宿場、布田五宿の図
.jpg)
昭和初期の、調布の古民家を、参考にさせて頂きました。
.jpg)
江戸まで23キロ、高井戸宿まで6キロ、国府府中に向かい、最初の国領宿です。
宿場全体で、2000石を超える程でした。
国領宿の長さ900メートル、旅籠1軒、茶店、小商いの店がありました。
宿役として、人馬継ぎとして、8人、馬6匹を常駐させること。
当番日は、月の25〜晦日までとする。
甲州道中、古くは海道と書いていたそうです。
海道を行くのでないから、「道中」を使うように、訂正が入りました。
甲州道と名前を付けたのは、徳川家康でしょう。しかし生活道として、古くから国府へ行く道として、存在していたのです。使いやすいように、整備、支配されて、甲州道となったと
想います。街道は幕府の管轄になり、改修、路線の変更などは、勝手に出来なくなりました。幕府にとって、都合の良い制度にしたのです。
甲州道の特徴は「お茶壺道中」、将軍への献上の「宇治の新茶」を運ぶのです。
国領宿の「円福寺」、鎌倉、北条氏が崩壊した時、北条泰時の弟が、この地に逃げてきて、僧となり「開壽丸」と名乗って、寺を開いたそうです。
何故、国領に。その昔、国領、つまり天領だったことに、関係があるのではないでしょうか。その時、一緒に逃げてきた七家の武士。
荻窪氏、荻本氏、海老水氏、村上氏、熊沢氏、原嶋氏、井上氏、の各氏も一緒に来たのです。
問屋場、人馬継所、立場とも言いました。
街道を行く人の、「駅」。此処で、馬や人足を雇ったり、荷を積み替えたり、飛脚に文を頼んだりと。旅の中継所、案内所と想って下さい。
問屋場で働く役人、頭取は土地の者です。
その下に、年寄り。実際の問屋場の、指揮官です。
業務内容の記入、収支報告、勘定を任されていたのが、帳付けです。
人馬差配、人足や馬の割り当てをする係りです。
皆別に稼業を持っていました。問屋場の仕事は、交替でしました。
「本陣」とは、殿の滞在場所。大名とその一行となります。
武士にとって「旅」とは、本来戦となります。
陣を張る。泊る所です。中で、殿の場所が「本陣」です。其処から、旅籠でも特別な「本陣」
が生まれました。
.jpg)
多摩の100年写真集から。 京王帝都バスが、最初に走り始めたころの写真です。
見たことが無い方も、多いと思いますが、懐かしい方も居るのでは?
下布田宿、宿の長さ400メートル、当番日19〜24まで。
宿役として、問屋2人、年寄3人、帳簿付け1人、馬指し1人、常駐のこと。
旅籠3軒
.jpg)
布田宿は、江戸市民、府中領内から、川遊び、桜見物、国分寺へ、国府へ行く途中で、
鮎料理を楽しむ為にと、大変に賑わっていたのです。
.jpg)
大正中頃、多摩川での「舟遊び」の様子です。調布今昔写真集から。
.jpg)
「多摩川の鵜飼」の様子です。宇津木十四郎氏所蔵から。
多摩川名物の「鮎」。献上品、税の替りにもなりました。鵜匠が、鵜を操り、鮎を取るのです。
布田宿の千人同心。
将軍家を護る為、甲州道に、千人同心が配置されます。
頭九人、萩原氏、上窪田氏、下窪田氏、志村氏、原氏、中村氏、河野氏、山本氏、
石坂氏、其々部下50人編成でした。
窪田別家を、加えて10頭。元武田家臣から、250人。元北条家臣から、250人。
1635年に、10頭に部下が100人。合計千人。 此処で千人同心となります。
家康から
布田五宿に、窪田氏、原氏、中村氏、石坂氏らが、領地を賜りました。
.jpg)
徳川家康から、深大寺への「寄進状」です。 深大寺所蔵から。
部下、組頭から
植田孟縉、「新編武蔵風土記稿」で有名。
塩野適斎、「桑都日記」「新編武蔵風土記稿」で有名。
小谷田子寅、蘭学者。
三田村鳶魚、江戸文化・風俗研究家。同心勤めはしていません。
近藤(坂本)三助、天然理心流二代目。
.jpg)
「深大寺縁起絵巻」から。
深大寺用水
江戸時代に、野川の水を引く為に作られた、用水です。
用水建設に尽力なされた方々。
富沢氏、佐保田氏、秋輪氏、箕輪氏、萩原氏、中村氏、小林氏、藤田氏、糟谷氏、
原氏、渡辺氏、花形氏、吉野氏、宮川氏、白鳥氏、谷戸氏、比留間氏、新川氏らが
居ました。
上布田宿、宿の長さ640メートル。当番日、月の13〜18日まで。
宿役として、問屋2人、年寄7人、帳簿付け2人、馬指し1人、常駐のこと。
旅籠5軒
.jpg)
布田天神、その他の祭り時の縁日など、人出が多かったのです。
有名な小金井の「お兄いさん」も、府中領の中の縁日、香具師の元締めとして、
活躍されていました。己、一代限りとして。
布田五宿の総元締め、原家。ぶどう酒造りをしていました。
宿役とは、高井戸宿へ、府中宿へ、伝達、荷運び、連絡の役目が入ります。
籠屋も、貸し馬屋も、飛脚も、芸子さんも、いたのです。
.jpg)
「多摩川の風景」 原武利氏所蔵から。
名主とは
一般の農家と違い、屋敷には門、玄関を作ることが許されていました。
関所を通るとき、必ず必要な手形。村人の為に、一筆書くのも仕事でした。
関所手形は、「差し上げます、一札の事」から、始まります。
「この者一人、高尾迄まかり通り申し候。御関所相違いなく御通し下さるべく候。後日の
為、一札申し上げ申す所、拠って件のごとし」日野宿名主、七郎左衛門。と書きます。
町飛脚
武士の私用、商人、庶民の通信に利用された。
1663年、三都の商人が創業。毎月2の付く日発送で「三度飛脚」とも。
1773年、各街道に、取次ぎ所が設けられ、通信、為替、送金が容易に出来るように
なります。この時代に、もう郵便制度の土台が出来ていたのです。
世界的に見ても、是は素晴らしいことでしょう。
.jpg)
多摩の100年写真集から。
多摩川、関戸の渡しの様子です。昭和3年ごろ。
下石原宿、宿の長さ700メートル。当番日、月の7〜12日まで。
宿役として、問屋2人、年寄2人、帳簿付け1人、馬指し1人、常駐のこと。
.jpg)
旅籠は一軒もありませんでした。元支配していた方が、旗本が多かったのです。
一石とは
領地の単位。
一反で、米一俵出来ると考え、1000俵で、一石と。
一反は、約300坪。
一石の領地とは、300、000坪でしょうか。
武士のとって「一石一城の主」が夢、目標だったのが、解る気がしませんか。
多摩の自由民権運動
1874年、板垣退助、後藤象次郎らが、選挙により議員を選び、国会を開設することを
求める「民選議院設立建白書」を提出しました。
1881年、国会開設の約束の、「詔勅」が出ます。
民権運動が盛んになります。日本国憲法を、独自に作る動きが起こり、「五日市憲法」
有名な草案が作られました。
昔多摩は、神奈川県に属し、全国でも一、二を争う、自由党の王国でした。
三多摩に強い影響力を与えた方、中島 信行氏です。
幕末、坂本竜馬の「海援隊」で活躍、維新後、徴士、外国官権判事、兵庫県判事、
大蔵省紙幣権頭、租税権頭を歴任なされた方です。
特に、地方自治に、力を注ぎ、この方の影響力が大きかったのです。
府中の高安寺にて、「自治改進党」の発表が行われました。
社長に、立川の砂川源五右衛門氏。
.jpg)
立川、砂川源五右衛門氏。砂川家所蔵から。
副社長に、三鷹の吉野泰三氏、が選ばれます。
.jpg)
三鷹の、吉野泰三氏。吉野家所蔵から。
幹事として、谷保から、本田定年氏。上石原から、中村克昌氏。
立川から、板谷元五右衛門氏。府中から、比留間雄亮氏。
立川から、中島治部兵衛氏が選ばれました。
この中から、後に代議士となる方々が出ました。
選挙が出来る人は、税金を払っていた人だけでした。
明治23年多額納税者から。
1〜4番目まで、横浜の商人です。
相川村、成瀬村の農家。多摩では、9番目桑田村、10番目八王寺町、13番目堺村、
農家の方々です。
1884年、一時は政府を窮地に追い込む程の、民権運動も、自由党の解党により、
崩壊します。
1886年、教科書の検定制度が、明文化され、各小学校会に公布されました。
自由民権運動の激化により、危機感を強めた政府が、民権運動の排除の目的で
行った制度です。
.jpg)
大正時代に、境新道を走った、ゴム輪の付いた、「新型乗り合い馬車」です。
本橋トク氏所蔵から。
三多摩地方の社会運動
労、農運動の組織化と運動。
1917年、ロシアで起った社会主義革命から、盛んになります。
日本の労働運動が、本格的に始まった、画期的な出来事です。
1924年、立川町の弁護士・下田 金助氏を顧問に、調布町の二宮 五右衛門氏が
組合長として、賃金労働者の「三多摩労働組合」が結成されました。
小作人で、「農民組合」、三多摩農民運動を興したのが、府中町の矢部 甚五氏。
キリスト教社会主義を受けて、「農民青年」を組織したのが、八王子町の橋本 義夫氏。
橋本氏は、自由民権運動・困民党の歴史の研究に尽くし、「ふだん記」を広め、
「自分史」執筆運動を、最初に始めた方です。
独立労働協会支部の設立に尽力なされた、八王子町の森田 喜一郎氏。
立川・下田氏の「労働組合」、府中・矢部氏の「小作人組合」、八王子・橋本氏の
「青年派」を総て, その後に大きく影響を与える、流れを作ったのです。
.jpg)
多摩の100年写真集から。
多摩川の河原での、軍事演習の様子です。
昭和初期、戦争に入る前ごろと思います。
調布町も戦禍に遭いました。軍需工場、中島飛行場、中島飛行機三鷹研究所がありました。
中島飛行機が作った「剣」、空飛ぶ棺おけと、呼ばれていました。
一回だけの飛行、体当たり攻撃、本土決戦用の機です。
105機制作されましたが、実戦には使われず、終戦。
下石原村は、アメリカ爆撃機からの爆弾投下による被害、大きな火災の被害に遭いました。
上石原宿、宿の長さ600メートル、当番日、月の1〜6日まで。
宿役として、問屋2人、年寄4人、帳簿付け2人、馬指し1人、常駐のこと。
旅籠4軒
上石原宿
.jpg)
.jpg)
この地図は、「上石原と 祭りばやし」中村虎太著、を参考にさせて頂きました。
上石原は、近藤勇の生家があることで、有名です。
甲府へ出立の時、中屋へ寄ったことは、事実です。
上石原宿の成立は、少し変わっています。現在の場所は、元は飛田給と呼ばれた場所。
上石原村は、多摩川沿い、押立村の隣にありました。
徳川家康が甲州道を作るとき、街道に宿を造りました。ところが、飛田給村は人口が少なく、宿を運営出来なかったのです。
替わって、上石原村の住民が、甲州道沿いの飛び地を与えられ、移住し、上石原宿を運営してきたのです。
川の氾濫で移動された布田天神と同じ様に、上石原宿を開く時に、西光寺も、一緒に飛び地へと移されました。
是が西光寺にある、似王様です。
右の手を上げている方、「あ」。 左の手を下ろしている方、「うん」。
人は生まれる時に、あ〜と言って生まれ、死ぬ時には、う〜んと言って死ぬと。
まあ、参拝の時には、まず「あ」の方に、終わったら、「うん」の方に、挨拶をね。
二段構えの門、似王様を持つ寺は、西光寺だけです。
.jpg)
これは上石原に残る、おかめの面です。
近藤氏の活躍の為にと、持てるお金を、近藤氏へ差し出した方もおります。
近藤氏の墓は三鷹に有りますが、西光寺に坐像があります。
.jpg)
「砧」は布を叩き柔らかくする時に、使います。
昔のアイロン、中に炭を入れて、使いました。明石屋に残っています。
明石屋は宮川さんです。本家は甲州道で古くは魚屋をしていました。
宮川家から、飛び地の開墾に出向き、三鷹との境界近くに地を構えたのが、後の近藤勇の生家となる、宮川家は、甲州道、宮川家の分家です。
「この街道を開かれしは、慶長7年にして、寛文8年。人馬の養料とし、毎宿に、
金百両を貸し与えられる。当宿開発の年暦、定かならず」

江戸時代に流行った、伊勢参りの時の、道中日記です。
上石原宿の、田中屋。藤棚の中村俊一氏の所蔵です。
1里、4キロ、歩いて約1時間。わらじで歩くのです。疲れた頃となり、茶店で一休み。
少し腹が減った時、団子。寒い時には、甘酒。暑い時には、ところてん。
遊び疲れて、籠を呼んでもらう。暗くなったら、提灯を借りる。
.jpg)
日本の慣習と礼儀のスケッチより。
大名が登城した時の様子を、描いた物です。裃を着け、腰の大小の刀は持ち込み
ご法度。小姓が付きます。
これは江戸城を中心に、道と宿場の地図です。
.jpg)
.jpg)
戦争の記録関連
「調布市戦時記録保存会」 岩崎 清吾氏。
「調布、狛江、8・15戦争体験を語る会」 本田 栄一氏。
「中島飛行場戦災殉職者慰霊碑」 西東京市、東伏見稲荷神社に在ります。
軍需関連施設から。
陸軍調布飛行場、第17飛行団司令部。
飛行第144戦隊、独立飛行第101中隊、第14航空通信隊が配置された。
B29戦闘機に対して、「はがくれ隊」を結成。体当たり攻撃を目的に。

昭和29年、9月。中村吉治氏の撮影です。
昭和14年に着工の、調布飛行場。戦争が始まると、軍隊が使用します。この写真は、飛行機を格納する為の、壕です。写真のこの場所は、旧飛田給字道生通888番地。板橋一郎氏の畑の中に在ったのです。
中島飛行機三鷹研究所、三鷹市。
中島飛行機武蔵野製作所、武蔵野市役所の所。
中島航空金属、西東京市。
日本製鋼所武蔵製作所、府中市。
陸軍燃料廠、府中市。
陸軍技術研究所、小金井市。
陸軍経理学校、小平市。
東京芝浦電気府中工場、国立市。
.jpg)
味の素スタジアムが、見えていますでしょう。まだ若い、桜並木です。車の中からの撮影でした。
多摩の地酒
.jpg)
狛江; 「桜子」はじめ、土屋酒造。 府中: 「国府鶴」、野口酒造。 サントリー武蔵野
工場: 「作りたてビール」。 立川: 「カミカゼビール」。 多摩: 「原峰のいずみ」、
多摩商工会。 町田: 「月丸」、町田商工会。 小平: 「小平の杉」、高橋商店。
東村山: 豊島酒造。 武蔵村山: 「多摩湖の香り」はじめ、渡辺酒造。
青梅: 小沢酒造。 大多摩酒造。 あきる野: 中村酒造。 野崎酒造。 福生: 石川
酒造。 羽村: 田村酒造。 八王子: 中島酒造。 西岡酒造。 大沢酒造。
町田の「禅寺丸柿ワイン」大賀蓮から作った焼酎「太古のめざめ」。
三鷹の「キウイフルーツワイン」。
奥多摩の「奥多摩わさび焼酎」。
檜原村の「柚子ワイン」「じゃがいも焼酎」。
福生のビール「多摩の恵」。 立川・無門の「西国立ビール」。 多摩ブルーワリーの
「多摩ビール」。
東村山の「東京金時」。 「立川うど」。 小平から始まった、ブルーベリー栽培。
「日野ファーストトマト」。 清瀬の「にんじん」。 「高尾ブドウ」。 こんにゃく、わさびと。
こんな時代も有ったこと、です。
「ショップページ」で、「私の住む町シリーズ」はお買い求めになれます。
何か知りたいこと、違うことが有りましたら、メール連絡下さい。
出来るだけ、判ることはお返事させて頂きます。
企画、地図製作、ジュノー企画